小農宣言によせて

去年の11月20日に国連総会において、「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が採択されました。しょうじき世事に疎いので、小農宣言ときいて「ほぉーそんなものが」とそのとき初めて思ったわけですが、たぶん、多くの方々も、「小農」って何よ?とおもうか、あるいは、小さな家族経営の農業っていいよね、守っていきたいのねぐらいの牧歌的なイメージがあったりするかもしれません。でも、この宣言には、もっとのっぴきならない、命がけの意味があるようです。

ただ、いかんせん勉強不足でいろいろよくわからないので、とりあえず「農文協の主張:国連「小農宣言」が明記した「種子の権利」を考える」 という記事を読んでいます。 今回のニュースソースはほぼここからだけです(ひらきなおり)。

さて、この宣言は、ボリビアなど南米諸国が中心となり、アメリカなど先進諸国の反対(日本は棄権)を押し切って採択されました。このような提案の背景には、グローバル企業に対する強い抵抗があった。とのこと。特に「種を自家採取できなくしよう」(注1)というグローバル育種企業の思惑に沿った法案への激しい抵抗が、小農宣言採択への原動力になっているようです。

日本でも、種子法廃止されたり、種苗法改正で自家採取原則禁止という方向性がうちだされたり、いろいろ騒がしいはずなんですが、なんというかおとなしい日本人。もちろん、暴れろとかいうわけじゃないんだけど、もうちょっと意思表示したほうがいい。棄権しちゃだめなんだよ。まあ、日本人というのはある意味まじめで「間違ったことはいっちゃいかん」「よく知らないことは黙っておこう」というのがあるのかもしれない(注2)。何か言って反論されたり、バカにされるのも嫌だしと思うのもわかります。でも人生は旅で、旅の恥はかき捨てっていいますから。

たねびことしては、小さい農家の手助けをしたりその役割を再認識するための活動をしていきたいと思っています。まだ何もしてませんけども。これから、小農をどうとらえていくか、 農業に携わるひと、消費者のみなさんと考えたり、何か面白くしたりしたいと思います。

注1:自家採取とは、種をとっておいて、また播いて、そしてまた種をとって・・というサイクルを繰り返すこと。あたりまえのようですが、我が国ではタネ屋で買うのが普通になっています。

注2:そういうタガが外れてしまった人の方がむだに声が大きいという問題もあるので注意。