しあわせの赤いごはん

お赤飯

お赤飯。これまでなにか良いことがあると、赤飯がでてきたっけ。逆になにもないのに、赤飯がでてくると、何かいいことがあったような気がしてくる。いつものご飯とちがって、少しかたいけどそこがおいしくて、もちもちしてて、豆の食感もよい。ああ、もう毎日赤飯でもいいんだけど。

最近は、糖質制限なるものが流行っているので、赤飯なんてあんまり食べなくなっているんでしょうか。もち米が入っているせいか、普通のご飯よりすこしカロリー高めですし、ついたくさん食べちゃうし。でもそんなことを言ったらモチも食べられないじゃないですか。そういえば、モチ米をたくさん作っている農家さんのところの子供たちがモチがキライだといっていて、なんてこったいと思いました。

まあ、それはさておき。赤飯というのは、この赤いのがいいんでしょうか。たしかに、色がよくつかなかったとき若干よろこびが縮小するような気もしないでもない。食べたらなんにも変わらないんだけど、残念感がある。やっぱり赤い色というのは訴えてくる力が強い。神社の鳥居も赤く塗ってあるし、梅干しだって赤くしたい。ショートケーキにイチゴが乗ってないとかなしい。まじめな話、赤い色が食欲を刺激する心理効果があるんだとか。

さて、この赤い色をちゃんと出すにはアズキの下ごしらえをちゃんとしておかないといけない。長めに水につけておくか、長く煮るか。いずれにしても時間がかかるから、思い立ってもすぐには食べられないのが、お赤飯のなやましいところ。ところがです、むかしむかしのコメ自体が赤かったんだとか。それは便利。なのか?

縄文時代に日本に大陸から渡ってきた米は、いまより赤っぽい色をしたものがあって、それが、「神様には赤っぽいものをささげたらよい」というような風習とあいまって、赤い米を蒸したものを供えたそうです。そういうことをするときというのは、いいことや悪いことがあったなにかの節々に行われ、ひとびともそのお下がりを食べる。そんな風習がいままでずっとつながってるんだなあと考えると、なんだかすごいことだと思います。

なんかこう、ひとくちひとくちに、これまで生きてきたひとたちの泣き笑いがこみあげてくるそんな気がするような。でも、やっぱり赤飯にはお豆がはいってないとね。

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