問いをたてることこそが生きる糧なのです

昨日とおとといはセンター試験でしたね。お疲れ様でした。よくできた方もちょっと手をやいた方も。とはいえ、まだ二次試験があるでしょうから、これまで努力してきた成果を十分に発揮できることを願っています。

さて、 以降は、受験生にとってなんの足しにもならぬ話なので、ブラウザを閉じて勉強してください。

センター試験といえば、再来年に新しい試験方式が導入される予定ですよね。記述式の設問を作ることで「判断力とか思考力」を判定するとのことです。それと英語試験に民間の検定を利用するとか。こうした変更には、採点の困難さなどから批判がでているわけですが、そのあたり詳しいことはよくわかりません。ただただ思うのはこれから受験する学生たちは大変だろうなということです。

ところで、このような全国共通の一次試験をするようになった理由は、一部の大学・学部に受験生が集中してしまうことを避けるためです。どこでも勝手に受けられるということになれば、たしかにいろいろ混乱がありそうです。そんなわけで、受験生は、希望の大学を受験するために、一次試験である程度の得点(足きりライン)をとらなければならないということになりました。つまり、希望の大学で勉強するために、一次試験のための勉強は必ずしも本質的ではないけども、二次試験の挑戦権を得るために仕方なく取り組むわけです。

そんな程度のものですから、この一次試験をいじくりまわして、受験生も大学もふりまわすのはナンセンスです。 思いつきでものごとを複雑にしているようにしか思えません。「新たな時代に対応できる人材を育成するための新しい学力評価制度」 などというふれこみですが、人材を育成するのが評価制度だというのがすでに時代遅れです。

判断力と思考力を育てられるかどうかは、教育そのものの問題です。知識を詰め込んでも判断力も思考力もつきません。そういえば、詰め込み教育を反省してゆとり教育を導入したら、知識が減ったといってゆとり教育をやめてしまいましたが、ほとんど笑い話ですよね。危険だからといって集めた除染土を安全だからといって全国にばらまくのと同じレベルです。それはおかしいのでは?と思えない人たちが判断力・思考力を云々するのはどうかしています。

しかしながら、じゃあ、判断力や思考力がいらないと言いたいのかといえば、そういうわけではありません。むしろ、これからの若いひとたちは、自分で考える力をどんどん磨いていくことが絶対必要だと思っています。

最近みかけたの記事によると、あるアンケートの結果、76.2%もの若者が将来に不安があると答えたそうです。絶対安泰という人はいませんから、どちらかというと、不安がないと答えた17.1%の方が心配ですけれど。ただ、不安の程度は他人にはわかりかねますから、本当に深刻なのかもしれません。では何が不安なのか。

たしかに、地球の温暖化はとまらないし、生き物は急速に絶滅しているし、東アジア情勢は不安定だし、AIのせいで仕事がなくなるというし、その地域固有の心配もある。不安のタネはたくさんあります。だけど、「不安」の本当の原因は、正解が提示されていないことへの不安なんじゃないか?こうすれば問題ない、こうなればずっとうまくやっていけるよ?と誰もいってくれないせいじゃないか?と想像するのです。

例えば、地球温暖化が心配なら、「なぜ地球温暖化をとめられないのか?」「なぜ地球温暖化が問題なのか?」「どうしたら温暖化の速度を緩められるのか?」「自分にできることはなんなのか?」などというように、次々と疑問がわいてきて、不安がっているひまなどないのです。

これからの世代の人たちが求められることは、試験のように答えを選ぶことではなく、意味のある問いをたてることです。 そういった意味では、取り組むべき課題が若い人たちを待っています。まあ、そうした課題を押しつけている私たちが言えた義理ではないんですが。

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